2011年

4月

28日

矢野喜正. 2011.「教科書編集を支える立場から - 失敗を認めない制度、間違いを許容する教育」

全国の学校の先生方に向けて発行されている定期刊行物『教室の窓』に、小論を寄稿しました。 現在、WEBで読めるようになっています。 ご興味ございましたら、下記のリンク先の資料をご覧ください。

 

教室の窓 - 中学校理科 - 2011年5月 - 臨時増刊号 - 平成24年度用新教科書特集教科書編集を支える立場から - 失敗を認めない制度、間違いを許容する教育」東京書籍

 

私がこのコラムで述べたかったのは、近年の「ユニバーサルデザイン」と呼ばれる社会動向が、その行き先を見失ってしまっているということです。 とくに、先天色覚異常の問題は、いわゆる「ユニバーサルデザイン」で解決できるほど簡単な問題ではありません。

以下別件。 「ユニバーサルデザイン」は、市場経済と抱き合わせになったとき、非常に大きな権力を手に入れます。 そこでは「困っている人がいるから改善せよ」という、キレイゴトが語られますが、それを裏付けるものは提示されません(あるいは、提示されているものが『美しい嘘』によって構築されています)。

 

そもそも「ユニバーサルデザイン」という思想は、市場経済と関わりのないところでは成立しないものなのかもしれません。 もしそうであるなら、「ユニバーサルデザイン」は、キレイゴトを使った押し売りである、ということになってしまうでしょう。

 

そうでないことを祈りながら、しかし怪しい「ユニバーサルデザイン」が巷に蔓延していることを、私は悲しく思っています。

 

 

 

 

 

 

 

2011年

1月

30日

先天色覚異常シミュレーションツールの宿命

けさの天声人語を読んで思う。マイノリティの闘うべき相手は、「世間の無知」と「想像力の欠如」なのだということを。

ここ数年ずっと気がかりなのは、先天色覚異常の「シミュレーション」ツールの存在。 PCソフトもあれば、サングラスのようなものもある。 こういったものが「世間の無知」や「想像力の欠如」を解消する手段となるなら、歓迎したい。

 

だが、私が気がかりなのは、その逆の方向に用いられている様子が見て取れるからだ。 たとえば、インターネット上の掲示板には頻繁に先天色覚異常の「シミュレーション」画像が貼付けられ、「色盲の見ている世界がキモイ」といった書き込みが繰り返されている。 先天色覚異常「シミュレーション」ツールの存在によって、かえって「世間の無知」や「想像力の欠如」が助長されていると言ってよいだろう。

 

こういった状況は歓迎できない。 どころか、先天色覚異常を抱える当事者の闘うべき相手である。 そしておそらく、先天色覚異常「シミュレーション」ツールの製作者たちにとっても、好ましくない状況であろうと思われる。 現状のままでは、先天色覚異常「シミュレーション」ツールは新たな障害カテゴリーを生み出す装置となるだけである。

 

先天色覚異常「シミュレーション」ツールが、「世間の無知」や「想像力の欠如」を解消する手段となるような道筋は立てられるのか。 これを早急に議論しなければならない。

 

 

 

2010年

12月

04日

日本が世界に誇る著作物、なのに・・・

産学協同を趣旨としたある団体のメーリングリストで、以下のサイトを紹介する声がありました。

http://ilabs.microsoft.com/Project/Pages/Project.aspx?ProjectId=5

 

メールをご送信なさったのは某企業の有名社員といったお立場の方です。 おそらく、ちょっと面白いソフトがあるから見てみて!といったお気楽な感覚で、とくに悪気はなかったと思います。


とりあえずいまは、このソフトの良し悪しを問わないことにします。 私が問題にしたいのは、ここに引用されている画像です。 これらは、日本発の世界標準、「Ishihara's Test」の画像を無断で使用したものです。

日本人は、ドラえもんなどが海外(主に中国)で無断借用されているのを見つけると、すぐ感情的になります。 では、同じ日本人による著作物である「Ishihara's Test」が海外(主に欧米)で無断借用されているのを見て、いかがでしょうか。

先述のメールを発信した某氏がお勤めされているのは、理化学研究所を母体として民間化された、超有名グローバル企業。 一定のモラルはお持ちになっている方だと思うのですが、おそらく何も感じなかったのですね、残念ながら。

 

 

 

 

2010年

8月

27日

いわゆる「色覚異常シミュレーション」の罪

私は、ネット上の魑魅魍魎にはまったく興味がありません。けれども、風評資料の一種として、色覚異常に関するいくつかの言葉を自動検索アラートに設定し、一応収集しています。そこに、2ちゃんねるの某スレッドが引っかかっていました。それは、いわゆる「先天色覚異常のシミュレーション」と呼ばれる画像を見て嘲笑うスレッドでした。ニュース速報板なので、現在はもうそのスレッドはありません。

先天色覚異常のシミュレーション画像をつくろうとした研究者の中に、KS 先生という、電子工学で著名な方がいらっしゃいます。模擬実験を始められたのが1970年代といいますから、おそらく、日本では最も古い時期にこのジャンルの研究に着手された方だと思います。深見嘉一郎先生と親しく、共同でご研究をなさっていたこともありました。

KS 先生は、もちろん、視覚にまつわるシミュレーション画像というものには人間の「知覚」が反映されていないということを十分にご理解された上でご研究をなさっていました。その先生が、あるときを境に、画像を一般に公開しないようになります。当時はまだ、インターネットどころか、パーソナルコンピュータも普及してない時代でしたから、学会内で慎重に気を使いつつ発表している限り、画像が公に流出することはありませんでした。

KS 先生がシミュレーション画像を公開されなくなったのは、画像が誤解を呼ぶ可能性が大きいと判断したためです。そしてその誤解によって、多くの当事者たちが傷つくということをご心配されたためです。もちろん当事者とは、先天色覚異常を抱える者だけでなく、その近親者など関係する人々のすべてです。KS 先生は、多くの人を傷つけるであろうことをお気づきになり、研究成果の公表を自重されたのでした。

インターネットが普及し、Vischeckなどの簡易なツールが公開されるようになり、KS 先生のご憂慮は現実のものとなってしまいました。そうした状況で、先述したような2ちゃんねるのスレッドが発生した訳です。

Vischeckに限らず、Photoshopのプラグインや、バリアントールという名のメガネなど、先天色覚異常のシミュレーションを実現したと広告宣伝しているツールが、実際に出回っています。しかしこれらは、人間の知覚を反映したものではなく、シミュレーションとしては不完全なものです。こういったものを自信ありげに広告することは、絶対に慎むべきです。さらに、このようなものによって誤解が広まることは、絶対に避けなければなりません。

こういった、一般の人々に偏見を与えるツールは、当事者に対する不当な評価を植え付ける要因となります。仮にツールの開発者が「善意」をもっていたとしても、結果的には「差別」の誘因となってしまいます。

 

シミュレーション技術への称賛は、当事者に対する人権侵害と一対になっています。このことを冷静に考える必要があると、私は思います。

 

2010年

8月

07日

打ち上げ花火

私は打ち上げ花火が好きだ。きょうは地元の市民花火大会。でも行かない。忙しいのと、ここんとこ疲れてて人ごみがあまり好きでないのと。しかし、どうやら大学の研究室から見えそうだ。早く論文書かないといけないんだけど、あとでちょっとだけ見てしまうかもしれない。

きょうは江戸川区・市川市共催の花火大会も予定されてたはず。これは、打ち上げ量で言えば関東最大規模なのだそうだ。っていってもどうやって数えているのか分からない。花火の玉の数なのだろうか。報道は公式発表通りなのだろうが、多少は水増しされてても観客には分からない。ま、そんなもんなんだろうけど、税金使ってるんだからちゃんとやれよな。

 

さて、私は先天色覚異常だが、たしかに花火の色彩はあまり見分けがついてない。すごく大雑把な印象で言うと、黄色系と青系と白っていう感じ。だけど奇麗だと思うよ、本当に。

 

もっとも、打ち上げ花火の楽しさは炎色反応だけじゃない。音と、空気の振動と、火薬の匂いと、あと、時折空からパラパラって降ってくる火薬の燃えカスなんかも魅力のひとつだ。

 

アジア太平洋戦争に敗戦した後の数年間、日本では打ち上げ花火が行われなかったという話を何かで読んだ。その後ちゃんと調べたわけではないが、おそらく本当だと思う。なぜなら、打ち上げ花火と空襲はいろいろ似ている点が多いからだ。光と音と、空気の振動と、火薬の匂いと、火薬の燃えカスと・・・・・・ そういう意味で、打ち上げ花火は、戦争のない地域の人々だけが楽しいと感じることのできる、特権的なイベントなのだ。

 

打ち上げ花火が「環境」によいのかどうか、私は知らない。けれど、打ち上げ花火を楽しめるような状況が、これからもずっと続いていくことを願う。

2004年

3月

22日

微妙な色の判別

こないだ「はなまるマーケット」を観ていたら、おいしいピーマンの選び方、っていうのをやっていました。なんでも、ヘタが6角形で全体に赤みがかったのが、甘くて美味しいんだそう。

TVに映るふたつのピーマン・・・ わからんっっっ! (放映中にブラウン管を複写したので、画像が汚くてすみません)

・・・残念。

 

 

2004年

3月

19日

歩行者用LED信号器

交通信号器の設置基準は法律で定められていて、日本国中どこへいっても同じ信号器、かと思ったら、違うのです。設置基準は全国一律なのですが、基準の範囲内であればいろいろと融通が利きまして、都道府県ごとに特色があります。

LED信号器の試験設置は、四国(徳島・香川あたり)がもっとも早かったのではないかと言われています。たぶん、5〜6年くらい前にはもう町なかに存在していたはずです。関東では、国会議事堂の近く、祝田橋の交差点に設置されたLED信号器が、たしか4〜5年前だったかと記憶しています。交差点に設置された4つのLED信号器にそれぞれ微妙な性能の違いがあって、実験的な設置だったということがよくわかります。

警視庁(つまり東京都)が自動車用LED信号器の正式採用を決めたのが去年です。しかし、先天色覚異常者にとって必ずしも見やすいとは言えなかったため、設置に「待った」がかかりました。

歩行者用LED信号器については瞬間の判断が要求されないので、それほど問題がないと想像していたのですが、先天色覚異常ではなく、弱視・視野狭窄など、いわゆるロービジョンの方々に見辛さがあるとのことでした。

 

2004年

3月

15日

色間違いの例

先週、近所の靴屋が安売りをしていたので、犬の散歩用にと買ってきました。2000円。

いつもはだいたい夕方なのですが、きょうは少しだけ時間があったので、お昼に散歩。で、失敗に気付いたわけです!

この靴、黒だと思って購入して、いままで3〜4日、そのまま黒と思い込みながら履いていました。さて、一体なに色なのでしょう? 茶色かな? 私(2色型第1異常[註])にはよくわかんない色です。

[註] 2005年以降の診断名は1型2色覚

 

2004年

3月

14日

ドス黒い愛情?

堅い話題ばかり書いていても、書くほうも読むほうも、疲れますね。ちょっと冗談みたいな、ほんとうの話。私には、このトラバ画像にある「赤いハート」、たいして鮮やかに見えません。

私は「2色型第1色覚異常」[註]といいまして、赤系の色の彩度と明度がドーンと落っこちて見えるのです。ですので、ふつうのひとより「けっこうドス黒いアカ」に見えているわけです。

お花見は好き。ですけれど、桜の花が「ピンク」だという感覚はあんまりありません。「ほとんど白に近いグレー」に、ちょっとだけ色がついてるな、といった感じ。その、ちょっとついているだろう色が「薄い赤」だという感覚は、ほとんどありません。ちいさい頃から桜はピンクだと教わっているので、それを知っているだけです。

さて、ホワイトデイに、なにをお返ししようかな。ひと昔前は「ホワイトデイにクッキーを」というキャンペーン(?)を展開していたように記憶しているのですが、最近はそういうのがなくなってしまって、とても困ります。贈り物を選ぶのって、大変ですから。

そういえば「ホワイトデイは3倍返し」っていうのが、最近の相場だそうですね。いけませんね、そういうキャンペーンは。

 

 [註] 2005年以降の診断名では1型2色覚

 

2004年

3月

12日

ひとつの色彩を万人が同じように感じとっているのでしょうか

学校や職場の検査などでよく使われる仮性同色表(石原表・東京医大式など)を1種類だけ使って検査しただけで、色覚異常であるという確定診断を下されることはありません。もしそんなことがあったとしたら、そのお医者さんは色覚についてあまりご存知でないのでしょう(仮性同色表の詳しい説明については、また後日)。

正確に色覚異常かどうかを診断するためには、1種類の仮性同色表だけでなく、数種類のさまざまな検査をし、その結果を総合しなければなりません。そういった総合的な検査・診断ができるような「色覚外来」を設置している病院は、全国に数か所しかありません。

1種類の仮性同色表による検査をフェイルしただけのひとは、「色覚異常の疑いあり」といった内容の診断結果になるでしょう。色覚異常の「疑い」の場合、精密検査をしたら色覚異常ではなかったということもあり得ます。

で、「自分の感じている色彩が他人の感覚に等しいと言えるのか?」という素朴な疑問ですけれども、正常色覚の人同士であったとしても、同じ色彩を見ているとは言い切れません。加齢による色覚の衰退・ニコチン中毒や成人病での色覚の変化・脳の機能による色知覚の変化など、いろいろな研究報告があります。厳密に計測すると、左右の目でさえわずかな違いが発見されるひともいらっしゃいます。ですので、「自分の見ている色が他人と等しい」と断言することはできません。

ですが、歴然とした程度の差が存在するのです。正常色覚者の色覚特性のばらつき(個体差)のなかに、先天色覚異常の人の色覚特性を含めることはできないようです。

私は、自分の色覚を調べるときに脳波をとり、それを数値化したものを見たことがあるのですが、ある特定の色彩については、まるで眠っているかのように脳が閉ざされていました。同じ実験で正常者のグラフとくらべた時、あまりの違いに絶句してしまったことがあります。

ではなぜ、先天色覚異常の人にも「色がわかる」と言えるのでしょうか?

それについては、これから詳しく説明していきます。

 

2004年

3月

09日

電話相談日誌

午前中、小学校入学直前の息子さんを持つお母さんからお電話がありました。「以前より、息子の言動が気になっていた。インターネットで調べていて、いろいろな事例に目を通すうち、息子が色弱であることを確信した。これからどうしたらよいのか」というご相談でした。

このお母さんは、息子さんのようすを注意深くご覧になっています。たとえば⋯

   学芸会で使った動物(着ぐるみ?)の舌を「ミドリ」と呼ぶ
   先生が着ていた深緑色のセーターを「グレー」と呼ぶ
   木の葉は緑色だと教えたら幹まで「ミドリ」で塗る
   大理石タイルを遊び歩きしながら「ミドリのところだけ踏む!」と言う

⋯などです。 

ふつうの人は「こんな極端な間違いを見逃す親はいないだろう」とお考えかも知れませんが、意外にも、こういったことを見落として育ててしまう親は多いのです。実際、「成人して就職の際に検査するまで自身の異常に気付かず、周囲からも指摘されなかった」という方も、かなり多くいらっしゃいます。

ですので、このご相談のお母さんは、なかなか子育てをしっかりがんばっていらっしゃる方なのだろうとお見受けします。こういう方のご家庭の場合は、精神的にはだいたい大丈夫。知ってしまったいま、すこし動揺していらっしゃるかもしれませんが、落ち着きを取り戻せば、きっと大丈夫。

ちなみに、「昨年11月の就学前検診で色覚の検査はなかった」と、おっしゃいます。そうなのです。近年は、あまり実施されていないのです。検査してイケナイわけではないのですが(この、検査関係のおはなしについては、また後日)。

閑話休題。

まずさしあたって重要なのが、小学校への対応です。まず担任の先生に事情を言って、配慮をしてもらうようお願いしておくのがいいでしょう。といいますのは、小学校低学年の場合、まだ語彙が少ないので、色の名前で指示することが多いからです。板書の色使いにも、トラブルはつきものです。

低学年ですと、教科書や教材にもたくさんの色が使われています。これも、まだ語彙が少ない、というのが理由です(中高学年になると字と図版が増え、色使いだけでなにかを指示させるような表記は減ります)。教材が配られたら、ざっと色の確認をしましょう。私の母は、磁石つきのちいさなオハジキひとつひとつに「アカ」「アオ」「ミドリ」「キイロ」と、手書きのシールを貼りました。が、そこまでやらなくてもいいんじゃないか、とも思います。子どもさんと「これはアカ!」とかやって、遊びながらでいいんじゃないでしょうか。

色がわからないからって、叱っちゃダメですよ。しょうがないんです、まだちいさいから。もうすこしおおきくなったら知恵がつきますので、気にしないで。この方の息子さんはポケモンが好きで、なのにお絵描きしても「よくわかんないから」といって色を塗らないのだそうです。子どもにとってお絵描きは楽しいもの。せっかくのチャンスですので、まず子どもさんの好きなキャラから、ちょっとずつ塗り絵しましょうよ。あわてないで、ひとつずつ、楽しみながら。

同じお母さんからもうひとつ、「息子に色弱だということを教えるのはいつがいいですか?」というご質問。これはとても難しいですね。考え方はふたつ、両極端なやりかたがあると思います。

(A)ひとつめは、子どもさんが自分で気付くまで教えない、というやりかた。色の間違いをしたときだけはちゃんと教えて、それが異常だとか遺伝だとか特定の進路はダメだとか、そういうのは一切教えないで放っておく。その方がノビノビ育つから。

(B)ちいさいうちから「あなたは色の見え方がほかのひとと違うのよ」とわからせて、すこしずつ色使いの工夫を覚えさせていく。将来の夢を具体的に語るようになったら、資格制限や職業適性などのこともすこしずつ教えていく。そのほうが失敗がすくないから。

これらの両方ともにデメリットがあります。(A)は、色間違いや人間関係の失敗が多くなり、子ども自身が恥をかき、色使いの経験不足に陥りやすくなり、進路決定が遅れる。(B)は、色に対する自信がなくなり、ときには思慮深くなり過ぎ、自分を責めてしまうこともあり得る。

どちらがいいのか? それは、家庭ごとに方法が違っていて、それでよろしいんじゃないでしょうか。

私の親がとった方針は(B)で、それが私には得だったと感じています。たしかに一時的に自信はなくなりますが、それを乗り越えてしまうと、色を扱うのがとても楽しい。自分にわからない配色に出会った時でさえ、「あれ、これ○○色なの? そりゃすごいねー!」という感じで、けっこう喜んで、ついはしゃいでしまいます。そしてその結果、いま、色を扱う仕事に就いているわけです。まぁ、私みたいなのは例外だといわれれば、たしかに、それまで。

ところで、ウチは(A)タイプだといって、親は知らん顔でいいのか?というと、私はそうは思いません。

子どもの体のことを詳しく知っておくのは、親として最低限の義務なのではないでしょうか。例えば、「予備知識なくいろいろ食べさせていたらひどいアレルギー体質になってしまった」というのと、「赤ちゃんのうちにアレルギー傾向を調べて気を使っていたから大きな問題を起こさなかった」というのと、どちらが親として優れているのか。

大人になってから自身の色覚異常を知り、「なんでウチの親は隠していたんだ!」と問いつめられてしまうと、親御さんとしては苦しいところです。色の間違いをタブーにせず、それも家族共有の話題の一部だと思って、楽しくコミュニケーションしていったらいかがでしょうか。(所要1時間)