2010年
8月
19日
木
言い得て妙
1コマ目
母 「異常気象やな。」
息子「そんなに異常なのかな。」
2コマ目
息子「おばあさん、どう? 昔はこんなことはなかった?」
3コマ目
祖母「ああ 昔はこんなことはなかったな。」
息子「へー やっぱり異常なんだ。」
4コマ目
祖母「昔はこの程度のことで異常異常ゆうて騒がんかったな アホちゃうかぁ」
息子「昔からこうだったの。」
母 「まぁ」
いしいひさいち「ののちゃん」(4650) 2010年8月19日 朝日新聞
2010年
8月
16日
月
「色覚障害」という言葉
【質問】 現在「色盲」という言葉は使われず、「色覚障害」が使われると思っていました。しかし『介護職員基礎研修』のテキストには「色盲」という言葉が使われていました。私の認識違いでしょうか?(Yahoo知恵袋より)
【回答】 「色盲」は旧来の医学用語で、現在は「2色覚」と呼びます。詳しくは日本医学会 色覚関連用語一覧を参照してください。
また、医学的な文脈での「色覚障害」とは、「色覚が障害されている」という意味の表現です。この表現は先天色覚異常と後天色覚異常の両方に対して使われますので、「色盲」の代わりの言葉として使うことはできません。
なお、「2色覚」に対して「色盲」を使うことは、古い表現というだけのことであって、学術的に間違った用語法ではありません。ただ、「色盲」という言葉は、学術用語の意味から離れ、一般に慣用されている言葉でもあります。そうなりますと、学術的な意味での「色盲」と慣用表現での「色盲」を区別するためには、文脈を正確に読み込む必要があるでしょう。この面倒を避けるためには、やはり、現行の学術用語である「2色覚」を用いるべきだと思います。
2010年
8月
01日
日
「学問の言葉」と「当事者の言葉」
ついさきほど、ある企業の募集要項の欄に「不可とする条件:色弱」という記載があるのを見かけました。といっても、たいして驚く話ではありません。まあなんというか、こういうのはよくあります。
「色弱」は昔の診断名で、いまで言う「異常3色覚」の意味です。一方「色盲」は、現在は「2色覚」と呼びます。
で、この企業の面接にでも行って、「私は色盲なのでかまいませんよね?」って言ったら怒られるだろうなあ(笑
さて、ここから別の話。
某団体は、先天色覚異常の当事者のことを「色弱者」と総称しています。そう呼びたいという気持ちは理解できなくもないのですが、「色弱者」と総称してしまうと、上の例のようなことが起こります。これは故 深見嘉一郎 先生から厳しく言われたことなのですけれども、ひとつの言葉に複数の意味を与えてはいけないのです。
眼科学は、私たち色覚異常の人間に、多くの示唆を与えてくれます。色覚異常の当事者たちには、眼科学を勉強し、冷静に我が身を認識できるようになっておく必要があります。
他方、「当事者」の言葉に惑わされている人々に対して、ひとこと。正確に自己認識できていない「当事者」の言葉を、信用してはなりません。自己認識できていない「当事者」は、自分の体験・経験を語っているように見えても、そこに個人的な意見を付け加えています。本来、経験談と意見表明は別のものであるはずです。経験談の中に恣意的な意見を織り交ぜるというのは、アンフェアな行為です。
例えるなら「南京大虐殺は中国の捏造である」と言って憚らない旧日帝軍人と似たようなものです。
2004年
3月
18日
木
「自閉隊」
石破防衛庁長官が問題発言・・・というより、あきらかな差別発言をしました。自民党議員のパーティで「自衛隊は今まで、揶揄的に『自閉隊』と言われていた」「自閉症の子供の自閉と書いて自閉隊。分かってくれなくたっていいんだ、自分たちがやればいいんだということで、積極的にPRしてこなかったかも知れない」などと語ったのだそうです。
自閉症の方々は「分かってくれなくたっていい」という意識で生きているわけではありません。むしろ「分かってほしい」という感情のほうが強いかもしれません。こういった自閉症に対する誤解が、自閉症をとりまく方々みんなを傷つけてしまいます。詳しくご存じない方は、参考に、『あたらしい自閉症の手引き』や、映画『エイブル』など、ぜひご覧になってみてください。
ところで、「色覚異常」という言葉も、よく似たような誤用に出会います。「ものの分別のわからない人」を例えて「君のものの見かたは色盲的になっているぞ」などというような使われ方をします。エッセイや小説などでも、よく誤った使われ方をしています。慣用表現には、くれぐれも、どうぞご注意くださいね。
2004年
3月
11日
木
用語について、雑感。
6日の朝日新聞朝刊「私の視点」欄に「『無職』という呼称をやめましょう」という内容の意見がありました。それに対して、きょうの朝刊「声」欄に「どうせみんないつかは無職になるんだから『無職』でいいじゃないか」という意見。ともに60代とおぼしき男性からでした。私からしたら、慣用表現ならお好きな呼び方でどうぞ、という感覚です。しかし、客観性が問われる場(たとえば学会など)では、裏付けのある言葉(職業についてであれば法律用語)を使わなければならないと思います。
色覚に関する用語についても、いろいろな議論があります。もともと医学用語として存在する「異常」「色盲」「色弱」などということばに対して違和感を抱く方々が、たくさんいらっしゃいます。負のイメージが大きいからです(各種の当事者団体のみなさんも「異常」という表現は、おおむね避けているようです)。加えて「色盲」は、「白黒の世界しか見えてないんでしょ?」という誤解を生じさせています。しかし、医学的に「色盲」と診断された方であっても色彩はおよそ把握でき、それなりに多彩に感じ取っています。ですので、先天色覚異常者の中には「盲」の字をつけるのをやめてほしい、という方がいらっしゃいます。これらの医学用語を回避するために、いろいろな新語が考案され、すでに使われはじめています。
たとえば、「色覚障害」は、おもにマスコミが用いています。もう数年前から使われているようですので、新聞やTV・ラジオなどで接した方もいらっしゃることでしょう。先天色覚異常のひとは、たしかに、色覚にインペアメントを持っています。ですので、この呼び方は間違っているわけではありません。しかし、ほとんどの先天色覚異常者はインペアメントの自覚がないまま暮らしているという実態があって、自身の色覚を「障害」と決めつけられることに対して抵抗感があるようです。また、医学的な表現としての「色覚異常」と「色覚障害」は、同義ではありません。「色覚異常」を「色覚障害」へ呼び替えようとした場合、学術用語の誤用ということになるでしょう。
ある医師によって発明されたのが「色覚特性」という表現です。「色覚異常はいわば個性のひとつであって、世界の人口と同じだけ存在する色覚の種類の中で類型化できない色覚のひとつなのだ」という考えです。なるほど、とは思います。ですがこれも、医学的な表現としての「色覚異常」と「色覚特性」が同義でないため、うまくありません。たとえば「正常色覚者の色覚特性は・・・」というような使い方もできるからです。結果、「色覚特性」は、科学的な表現を必要としないひとたちに好まれ、ごく一部のみで恣意的に使われています。
また、色覚異常の遺伝法則を説明する時によく使われる「伴性劣性遺伝」という医学用語も、やはり嫌われることがあります。どうしても「劣っている」というイメージがついてくるからです。前出のように、ほとんどの先天色覚異常者は、色覚について劣等感なく暮らしているという実態がありますので、自身の遺伝を「劣性」と表現されることにおおきな違和感を持つのです。加えて、遺伝の因子を持っている親からしてみても、自身の遺伝子を「劣性」と呼ばれることにかなりな抵抗があります。「劣勢」とも似ていますので、なおさらですね。ちなみに、先天色覚異常の遺伝について「伴性劣性遺伝」と呼ぶのは間違いで、正しくは「X連鎖性遺伝」「X染色体連鎖性遺伝」「X連鎖性劣性遺伝」などと表現するのだそうです。
閑話休題
こうして、いろいろな用語の問題に接してしまうと、もう、なにを使ったらよいのかわからなくなってしまいます。困った時は原点に帰れというわけで、私の場合、色覚については、医学用語をそのまま使うことにしています。感情的にどうも納得できないというデメリットは残ってしまうのですが、医学用語を用いたほうが誤解を生じにくいというメリットは捨てがたいものです。また、医学用語は、他国語(特に米語)との相互翻訳性について熟慮されています。ですので、客観性や普遍性を意識した場合は、医学・生理学的に正しいとされる表現を使うべきでしょう。
なお、現在、日本眼科学会が色覚関連用語の検討をしていて、近いうちに改訂されるようです。色覚に関する用語だけでなく眼科学全般で大きな改定作業をしているらしいので、そっくりまるごと日本医学会の定める用語に反映されることでしょう。私は、眼科学用語が変更されたら、このブログでの表現もそれに合わせます。そして、いまのところは現行の医学用語でまいります。どうぞご理解ください。