第3章 神殿と律法の意義
【3−1】 南王国の滅亡とバビロン捕囚(P.76)
バビロン捕囚に至る時代経緯の解説(cf.P.77-7図)
南王国の滅亡 → ユダヤ人独立王国の喪失 → 土地・王・神殿の喪失 → 神と民の繋がりの喪失
【3−2】 「思い出」が神と人を繋ぐ(P.79)
バビロン捕囚 → 救いや希望に対する欲求 → 出エジプトの思い出の反芻 → 過去の出来事を基準にした現在・未来の位置付け
【3−3】 ディアスポラのユダヤ人(P.82)
ディアスポラのユダヤ人:パレスチナ以外の土地に(自発的意志によって)住むユダヤ人
アケメネス朝ペルシアによる統治 → ディアスポラのユダヤ人の発生
【3−4】 第二神殿はなぜ造られたか(P.83)
バビロン捕囚 → 神殿の喪失 → 神殿の存在の必然性・存在意義の喪失 → 神殿再建の動機は?(cf.3-10)
↓ ↓ ↑
民の罪の解消手段としての神殿における活動意義の喪失
【3−5】 「聖書」の成立(P.87)
B.C.5C〜4C 律法(トーラー)成立の開始 → のち権威化 → ユダヤ教の正典(カノン)へ
【3−6】 ペルシア当局の命令で作られたユダヤ教の律法(P.89)
ペルシア当局命令によるユダヤ人の掟の明文化要請 → ユダヤ人全体を対象とする妥協的合意文書提出 →
→ 異教徒(ペルシア当局)によるユダヤ人の掟の公式化・確定化 → 掟の変更手続きの喪失 → 掟の不変の確定 →
→ 律法への服従と解釈変更の発生 → 律法の絶対的権威が維持された要因は?(cf.3-11)
【3−7】 「知恵」の展開(P.93)
バビロン捕囚・ペルシア統治・ギリシャ統治 → 文明への接触・文化的刺激の享受 →
→ 民衆レベルにおける知恵(人間の考える能力)の思索の展開(ex.箴言)
【3−8】 「神の前での自己正当化」(P.95)
知恵の展開 → 神の前における義の模索(ex.申命記改革)→ 神の前における民の態度の自己決定 →
→ 神の前における自己正当化(ex.トビト記)→ 人間の知恵が神を支配できるとする立場の発生 → 神と民の断絶
【3−9】 「神の前での自己正当化」への批判(P.99)
人間の知恵が神を支配できるとする立場の発生 → 「神の前における自己正当化」への批判
(ex.ヨブ記・コヘレトの言葉・創世記エデンの園の物語・詩編)
【3−10】 自己正当化を避けるための神殿建設(P.102)
知恵による主観的な自己正当化+罪の認識 → 神と民の断絶 → 神と民の繋がりを具体化する必要性の発生 →
→ 神殿における儀式 → 儀式の不十分な正しさの認識 → 神と民の繋がりの不十分さ → 神と民の決定的断絶を無限に回避
【3−11】 自己正当化を永遠に回避させる律法(P.105)
神の前における義の模索 → 律法の研究 → 律法の抱える難解さや矛盾との接触 → 神の前における自己正当化の回避
【3−12】 あえて理解困難なものがさらに複雑になる(P.109)
律法に見られる神の前での自己正当化回避の工夫
(1)絶対的変更不可な律法 → 律法の付加 → 律法の複雑化
(2)ヘブライ語による記述 → 一般のユダヤ人(アラム語)は理解不能 → 律法研究の困難と特殊化
(3)律法の物語を過去のものとして記述 → 律法の権威の強化(ex.申命記法)
(4)律法に意図的に矛盾を内包 → 律法の全体理解の不可能化 → 一定立場における自己正当化の排除
【3−13】 全体が正しいとされている律法(P.117)
律法を部分的に読むと不適切な内容も現れる + 部分的テクスト同士が矛盾の関係を抱える →
→ 律法に対する演繹的アプローチの排除 → 帰納的読解への誘導 → コンテクスト読解される「全体が正しい」律法
(ps.律法の正しさの認識+自己正当化の確信→律法を巡る原理主義/聖書原理主義)
2009-05-07 宗教文明論(加藤隆 先生)