6日の朝日新聞朝刊「私の視点」欄に「『無職』という呼称をやめましょう」という内容の意見がありました。それに対して、きょうの朝刊「声」欄に「どうせみんないつかは無職になるんだから『無職』でいいじゃないか」という意見。ともに60代とおぼしき男性からでした。私からしたら、慣用表現ならお好きな呼び方でどうぞ、という感覚です。しかし、客観性が問われる場(たとえば学会など)では、裏付けのある言葉(職業についてであれば法律用語)を使わなければならないと思います。
色覚に関する用語についても、いろいろな議論があります。もともと医学用語として存在する「異常」「色盲」「色弱」などということばに対して違和感を抱く方々が、たくさんいらっしゃいます。負のイメージが大きいからです(各種の当事者団体のみなさんも「異常」という表現は、おおむね避けているようです)。加えて「色盲」は、「白黒の世界しか見えてないんでしょ?」という誤解を生じさせています。しかし、医学的に「色盲」と診断された方であっても色彩はおよそ把握でき、それなりに多彩に感じ取っています。ですので、先天色覚異常者の中には「盲」の字をつけるのをやめてほしい、という方がいらっしゃいます。これらの医学用語を回避するために、いろいろな新語が考案され、すでに使われはじめています。
たとえば、「色覚障害」は、おもにマスコミが用いています。もう数年前から使われているようですので、新聞やTV・ラジオなどで接した方もいらっしゃることでしょう。先天色覚異常のひとは、たしかに、色覚にインペアメントを持っています。ですので、この呼び方は間違っているわけではありません。しかし、ほとんどの先天色覚異常者はインペアメントの自覚がないまま暮らしているという実態があって、自身の色覚を「障害」と決めつけられることに対して抵抗感があるようです。また、医学的な表現としての「色覚異常」と「色覚障害」は、同義ではありません。「色覚異常」を「色覚障害」へ呼び替えようとした場合、学術用語の誤用ということになるでしょう。
ある医師によって発明されたのが「色覚特性」という表現です。「色覚異常はいわば個性のひとつであって、世界の人口と同じだけ存在する色覚の種類の中で類型化できない色覚のひとつなのだ」という考えです。なるほど、とは思います。ですがこれも、医学的な表現としての「色覚異常」と「色覚特性」が同義でないため、うまくありません。たとえば「正常色覚者の色覚特性は・・・」というような使い方もできるからです。結果、「色覚特性」は、科学的な表現を必要としないひとたちに好まれ、ごく一部のみで恣意的に使われています。
また、色覚異常の遺伝法則を説明する時によく使われる「伴性劣性遺伝」という医学用語も、やはり嫌われることがあります。どうしても「劣っている」というイメージがついてくるからです。前出のように、ほとんどの先天色覚異常者は、色覚について劣等感なく暮らしているという実態がありますので、自身の遺伝を「劣性」と表現されることにおおきな違和感を持つのです。加えて、遺伝の因子を持っている親からしてみても、自身の遺伝子を「劣性」と呼ばれることにかなりな抵抗があります。「劣勢」とも似ていますので、なおさらですね。ちなみに、先天色覚異常の遺伝について「伴性劣性遺伝」と呼ぶのは間違いで、正しくは「X連鎖性遺伝」「X染色体連鎖性遺伝」「X連鎖性劣性遺伝」などと表現するのだそうです。
閑話休題
こうして、いろいろな用語の問題に接してしまうと、もう、なにを使ったらよいのかわからなくなってしまいます。困った時は原点に帰れというわけで、私の場合、色覚については、医学用語をそのまま使うことにしています。感情的にどうも納得できないというデメリットは残ってしまうのですが、医学用語を用いたほうが誤解を生じにくいというメリットは捨てがたいものです。また、医学用語は、他国語(特に米語)との相互翻訳性について熟慮されています。ですので、客観性や普遍性を意識した場合は、医学・生理学的に正しいとされる表現を使うべきでしょう。
なお、現在、日本眼科学会が色覚関連用語の検討をしていて、近いうちに改訂されるようです。色覚に関する用語だけでなく眼科学全般で大きな改定作業をしているらしいので、そっくりまるごと日本医学会の定める用語に反映されることでしょう。私は、眼科学用語が変更されたら、このブログでの表現もそれに合わせます。そして、いまのところは現行の医学用語でまいります。どうぞご理解ください。