色覚検査 廃止は自覚の機会を奪う, 朝日新聞, 2002-03-16

矢野喜正, 色覚検査 廃止は自覚の機会を奪う, 朝日新聞 東京 朝刊 私の視点, 2002-03-16

文部科学省が2月、学校保健法施行規則の改定案を発表した。児童の健康診断で行われている色覚検査について「日常の不便がほとんどなく、見やすい教材の採用などの方がより適切」だとして、03年度からの廃止を決めたという。

しかし、これは色弱(先天性色覚異常)に関する認識不足から生じた判断である。子どもたちが自身の色覚を知る数少ない機会を奪ってはならない。むしろもっと早期から検査を実施し、細やかな配慮をもって指導するべきである。

専門医の調査によると、色誤認の自覚があると訴えている人は、強度の色弱者で88%、軽度でも39%にのぼるという。

一般に色弱が説明される時「仕事や生活に支障がない」と書かれていることが多いが、これは色弱者を差別からかばうための修辞である。「自分だけが見えづらい」という意識を持たない色弱者は、困難に気付かず、色誤認の自覚ができないことも多い。

私自身、10歳時の学校検査で色弱を疑われたものの、不自由なく暮らしてきたつもりだった。しかし、高校で美術系を志望して色彩に気を配るようになると、日常に色情報が氾濫していることに気付きはじめ、過去の失敗の数々を反芻して蒼くなった。

美術大学を卒業して、デザイナーになってはじめて色覚外来で精密検査を受診すると、「二色型第一色覚異常」[註] と診断され、自分が強度の部類に入ることを知った。それ以降は、さらに自分の色覚特性を研究し、常に自分の見え方を疑うことによって、不利を補いながら生活している。

私は、自分と同じ境遇の人を何人も知っており、色弱者が色彩を扱う仕事に就くことはできる、と断言する。法令で禁止されている職業であっても、表示や機器などの色使いを改善すれば就労が可能だと思う。

だが、人間は誰でもいつか必ず失敗を犯す。それを未然に防ぐには、自身の色覚を詳しく知り、その特性を自覚しながら注意深く行動し、起こり得る問題を前もって予測し、隣人に助言を求めることが必須だ。色覚検査を廃止し、自身の色弱を知らされないでいると、不便は残存し、失敗は繰り返され、周囲の偏見は続いていく。

色弱者たちよ、自分の色覚について「知る権利」を放棄するな。「知らない方が幸せだった」という気持ちでは何も解決しない。おのれの身体能力の限界を知り、その立場から現実を直視し、共に不便の改善を訴えよう。

[註] 本論の掲載当時の診断名。2005年以降は「1型2色覚」が正式な診断名。