2010年

9月

26日

先天色覚異常当事者の言説にみる当事者の社会的位相とその運動の変遷

2010年9月26日、障害学会の発表原稿です。

出典:障害学会『障害学会・第7回(駒場)大会 資料集』(東京)2010

大会プログラムのホームページから発表資料をダウンロードすることができます。

私は矢野喜正(やのよしまさ)と申します。 色覚異常の当事者団体の運営をしております。また、千葉大の大学院で制度研究をしております。 きょうの報告テーマは「先天色覚異常当事者の言説にみる当事者の社会的位相とその運動の変遷」です。 どうぞよろしくお願いいたします。

これより報告を始めます。 研究動機、当事者問題の歴史的変遷、当事者問題の行方、の順にご説明いたします。

まず、研究動機です。

はじめに、眼科学の基礎的な事柄について説明いたします。

色覚についての医学的な分類です。 人間の色覚は正常色覚と色覚異常に分かれ、色覚異常は先天と後天に分かれます。 そして先天色覚異常は、1色覚、2色覚、異常3色覚のみっつに分かれます。 昔の診断名では、それぞれ、全色盲、色盲、色弱と呼ばれていました。

医学では、先天色覚異常の形質を持った人のことを「先天色覚異常者」と呼びます。 一方、きょう用います「先天色覚異常当事者」という言葉は、先天色覚異常にまつわる諸問題の当事者を指しています。 この中には、先天色覚異常でない人々、たとえば遺伝的保因者なども含まれる可能性があるということです。

なお、当事者の中には「異常」という表現を好まない人が多いようです。 躊躇はありますけれども、きょうは学術的に正確な表現をということで、医学用語を使わせていただきます。

先天色覚異常は遺伝的要因によって発現する形質で、日本での発現頻度は、男性の4.50%、女性の0.156%です。 そのうちおよそ6割が異常3色覚者で、4割が2色覚者です。 1色覚者について確定的なデータはありませんが、1万人から5万人に一人程度であろうと言われています。 また、遺伝的保因者は女性のおよそ9%と推定されています。 したがいまして、先天色覚異常者が約290万人、遺伝的保因者が580万人と推計されます。

このように多くの当事者が存在するにもかかわらず、これまで、先天色覚異常にまつわる社会問題が大きく扱われることはありませんでした。 しかし、近年になって、いわゆるユニバーサルデザインと呼ばれる事業に積極的に関わろうとする当事者が現れ、マスメディアに取り上げられる機会も多くなり、状況が変わりつつあります。

私の研究動機はこの文脈の読解にあります。 そして今後、当事者をめぐる諸問題はどのような方向に向かうのか、もし軌道修正が必要であるならば、当事者らはどのような方向を見据えるべきなのかを考察します。 そして本報告が、現代の日本社会における「障害」ないし「障害者」を読解するための素材の一部となることを希望するものです。 みなさまのご研究との差異を相対的に捉えながらお聞きいただければと存じます。

続いて、当事者問題の歴史的変遷です。

先天色覚異常にまつわる社会問題が、近年になるまで大きく取り上げられなかった理由には、おもに、次の4点が考えられます。

1)先天色覚異常は感覚器の比較的軽度な先天的インペアメントであるため、色覚検査を受けない限り、周囲からの指摘がほとんどありません。 ですので、インペアメントの自覚を持ちにくいという特徴があります。

2)色彩の扱いについていくらか経験を積みますと、困難に直面する機会がかなり減ります。 したがいまして、状況に適応する努力を行えば、個々の当事者にとっては大きな問題でなくなるという側面があります。 たとえば私は2色覚者ですが、美術大学を出て、デザインの仕事をしています。 まったく自慢できることではありませんけれども、それなりの状況適応が可能だということの証明にはなろうかと思います。

3)現在においても、就職や資格取得などに欠格条項が設けられ、当事者たちは不利益を実感しています。 そのために、インペアメントを隠し、不利を回避しようとする傾向があります。 実際のところ、インペアメントが外見に現れないため、慎重に生活していれば周囲に気づかれることはありません。 こういったことが、問題の存在そのものを隠蔽することに繋がっていったと考えられます。

4)日本には、遺伝に対して潔癖すぎるとも言える、感情的な傾向があるようです。 遺伝的保因者は、世間から誤解を受け、婚姻や出産などの際に大きな緊張を強いられ、精神的苦痛を実感してきました。 そうした苦痛を少しでも和らげたいと願う自然な感情がはたらいて、問題の意識的な忘却が行われたという側面があります。

この中で、とくに難しいのが4つ目の問題であろうと、私は考えます。 この遺伝の問題は、当事者の位相を読み解くにあたって、忘れてはならない視点であろうと思います。

以上のような背景がありつつも、先ほど述べましたように、近年になりまして、社会状況が転換を迎えています。 続いて、歴史的経緯を大まかに追うことといたします。

19世紀後半に、ヨーロッパ各地で、乗務員の色覚異常が原因であろうと考えられる列車や船舶の事故が重なります。 それを契機に、各国で乗務員の色覚検査が規定されていき、日本でも1879年から、鉄道員と船員を対象とした色覚検査が始められました。 日露戦争後には、陸軍、海軍ともに、色覚異常者の採用制限を始めます。 このようにして、近代日本においては、特定の職種の人材選定を目的として、スクリーニングが制度化されていきました。 当時の記録には、当事者の悲嘆の声が残っています。 戦争で活躍できないということにアイデンティティの喪失を感じたのだと考えられます。

昭和初期より、効果のない「治療法」がいくつも生み出されては消えていきました。 アジア太平洋戦争敗戦後、さらに怪しい「治療法」の発明が活発になります。 たとえば、1960年代には、こめかみに電気刺激をあてることによって色覚異常が「治る」と騙った高額な装置が売り出され、それを購入してしまう当事者が続出し、大問題となりました。 また、同様の原理を用いた「クリニック」が各地に開設され、90年代前半頃まで、詐欺行為が続いていました。 現在でも、「治療」を騙った鍼灸院がわずかに報告されていますし、色覚異常が「矯正できる」と騙ったメガネが高額で販売されています。 こういった詐欺行為の効果がクリニックや、あるいは装置やメガネの製造元らによって検証される際には、「治った」と訴える当事者の声が意図的に引用されるわけですが、そういった主観的な言説が多くの眼科医から疑われ、当事者の言葉は信用を失っていくこととなりました。

そのような状況にあって、「治療」「矯正」の真贋を見極めようと、医学に寄り添う決心を固めた当事者たちが現れます。 この当事者たちは、80年代から組織化を始め、眼科医らの援護を受けて、社会適応の方策を探り始めました。 しかし、運動体としての性格は強くなく、当事者のアイデンティティの構築を共同作業として行う、といった様相をもっています。

追って90年代から目立ちはじめた当事者の主張は、進学、就職、資格取得などの機会制限に対する異議申し立てでした。 この当事者らは団体を組織し、運動を始めますが、その論拠は、先天色覚異常者自身による「日常生活に不便を感じていない」という言説にありました。 この運動は、一定の成果を出しつつも、迷走を始めます。 色覚にまつわる制度のすべてを「差別」であるとして世に訴えはじめるわけですが、その矛先は医学に対しても向けられ、たとえば「色覚異常という言葉を使ってはならない」、「色覚異常という診断を下してはならない」、「精度の高い検査器具を使用してはならない」、「色覚検査そのものをこの世からなくすべきである」などと訴える当事者が現れました。 これを受けて眼科学は、「日常に不便を感じていない」という主張を疑い、当事者に対する信用度を下げていきました。

2000年以降になりますと、反対に、「日常的に困難を感じる」と語って、先天色覚異常者を福祉サービスの対象として取り入れるよう要求する当事者が現れました。 いわゆるユニバーサルデザインと呼ばれる動向への相乗りを狙ったものです。 この運動を率いる当事者らは、社会状況の転換を待ち切れず、自らソーシャルビジネスをはじめます。 そうなりますと、営利を求める都合から、どうしても、インペアメントを誇張して語る傾向になっていきます。 また、営業成果の顕在化を図るため、独自の造語の使用を営業先に要求し、認証マークの添付なども要求し始めました。 この運動での、インペアメントの誇張と医学用語の否定は、眼科医の側にあった不信感をさらに募らせることとなりました。

いま述べましたような経緯をふまえ、当事者運動の位相の整理を試みます。 私は、当事者運動の類型を、時代的経緯に合わせて、みっつに分類しました。 社会適応型、欠格条項撤廃要求型、情報保証訴求型です。 余談ですが、私は情報保証のショウの字を「ゴンベンに正しい」の「証」の字にしています。 情報保証は Information Assurance の翻訳語ですので、そうした方が相応しいと考えるためです。 話を戻しまして、以下に、それぞれの類型の特徴を述べます。

社会適応型運動の当事者属性は、先天色覚異常者、遺伝的保因者、その家族です。 医学的思考を基本に据えつつ、客観的な自己認識を試みようとしています。 あまりインペアメントを顕示しようとはせず、制度要求もそれほど激しくはありません。 色覚検査や欠格条項に対しては、科学的根拠がはっきりしている場合に限って、容認の態度をとるケースがあります。 営利性は低く、旧来のいわゆるボランティア活動の姿に近いものがあります。

欠格条項撤廃要求型運動の当事者属性は、先天色覚異常者に限定されており、中でも、比較的軽度のインペアメントをもつ者が多いようです。 医学的思考に対する抵抗感は大きく、インペアメントの自覚や顕示性は低いように見受けられます。 制度要求は欠格条項の問題に集約され、色覚検査は欠格条項存続の手段とみなして、実施反対の態度をとっています。 行動力があり、いわゆる一点突破型運動と呼ばれるものに近い様子があります。

情報保証訴求型運動の当事者属性も先天色覚異常者に限定されていますが、比較的強度のインペアメントをもつ者が多いようです。 このタイプの運動にまつわる言説を拾いますと、一見、合理的思考を持っているようにも見えるのですが、医学用語を一切認めないといったことなどから、医学的思考に対する抵抗感が大きいことが読み取れます。 また、インペアメントの顕示性は非常に高いのですが、誇張が見られるため、自覚の程度はよくわかりません。 制度要求は情報保証の問題に集約され、非常に行動力があります。 営利性がとても強く、新自由主義的な指向をもっているようにも見受けられます。

以上のように類型化した上で、相違点の整理を試み、今後の当事者問題の行方を考察してみたいと思います。

いま述べましたみっつの類型は、それぞれに矛盾点はありますけれども、当事者自身の視点からみれば、身体感覚と感情の置き場所を重ね合わせようという点で一致しています。 先ほど、インペアメントの自覚が難しいというところに問題の特徴があると述べました通り、当事者の抱える感情や意識は、身体感覚と分離した状態が出発点となっているわけです。 そこで、肉体と精神を、分離された状態から統合された状態へとシフトしたいという動機が共有されているようにみえます。

そこで、肉体と精神を統合させようというときに何を指向するかという点で、当事者運動の方向性が分かれていきます。 中でも、欠格条項タイプと情報保証タイプの主張は、明らかに矛盾しています。 欠格条項タイプは「生活上の不都合はない」と言い、情報保証タイプは「生活上の不便が多い」と言うわけです。 両者とも、身体感覚の個人差や、当事者の多様性についてはあまり触れず、主観的な身体感覚だけを拠り所にして語ろうとする傾向がみえます。 もっとも、主観的に捉えなければやっていけないほど、当事者が苦痛を感じているのだと考えることもできます。

このようにして、欠格条項タイプや情報保証タイプの当事者は、医学的な思考を受け容れられないまま運動を続けてきました。 それぞれの立場に立って言えば、眼科学は当事者の役に立たない学問であるということになるでしょう。 しかし私は、当事者と医学が良好な関係を構築した方がよいのではないかと考えます。 このことが、今後の課題のひとつになると思います。

しかし、当事者が医学を学べばよいという話では終わりません。 医学が当事者の方向を向いていないという問題が残っています。 これについて、社会適応タイプの当事者は、たとえば、眼科学会などの場に出て、医学の側に対して当事者像の修正を求めつつ、自身のインペアメントと向き合おうとしていますし、眼科医たちも当事者の意見に耳を傾けようという努力を始めています。 このように、当事者と医学とが対話を続けていくことが今後ますます重要になっていくであろうと思います。

最後にもうひとつ課題を挙げます。 これまで、欠格条項タイプや情報保証タイプの運動は、遺伝的保因者の立場を念頭においてきた様子があまりありません。 たとえば、情報保証タイプの運動では、私企業に対して、商品に「認証マーク」を貼るよう求めているわけですが、この「認証マーク」を遺伝的保因者たちが目にして、大きく傷ついているという実態があります。 また、お舅さんやお姑さんがお嫁さんを罵る、ですとか、先天色覚異常者が遺伝的保因者である親を恨む、ほとんどの場合は息子が母親を、ということになりますが、そういった肉親に対する怨恨が当事者の言説に現れ、この問題を一層深刻にする要因となってきました。 こういったことから、当事者の枠組みを確認し直す必要があるのではないかと私は考えます。 遺伝的保因者たちは、家庭内で孤立し、日々不安を抱えながら暮らしています。 このことを大きな社会問題であると捉え、当事者の全体像を再構築することが重要な課題になろうと考えております。

以上で報告を終わります。ご清聴どうもありがとうございました。

 

 

 

 

2010年

7月

29日

色覚検査と「差別」について

【質問】 色覚異常が差別であるととの認識が広まりつつあります。色覚検査と言えば石原式でしょう! そもそもあの本で正確な色覚が判断できるのでしょう か? シンプルに信号が見えるかとか現実的な試験のほうがよいと思います。色覚異常者が就職や進学で道を絶たれることはあってはなりません。そもそもなぜ 石原式が基準なんだ?(Yahoo知恵袋より)

【回答】 これはご質問ではなく、ご意見ですね。このご質問には複数のご意見が含まれていますので、それぞれ分離させて回答させていただきます。

(1)色覚異常は差別か
色覚異常は身体の特性であって、差別ではありません。したがって、健康診断によって色覚異常を発見することも、差別ではありません。なお、色覚異常という身体特性が社会的な差別に繋がるような現象を指して、その社会現象に対して「差別である」と言うことはできるでしょう。

(2)色覚検査はどのような方法であるべきか
検査は目的にあった方法で行うべきです。色覚異常の発見が目的であるなら医学的な方法で行うべきで、仮性同色表を用いることは間違っていません。しかし、進学や就職に関しては支障の有無の発見が目的でありますから、仮性同色表の結果 "だけ" をもって判断するのは間違いであるということになるでしょう。

(3)色覚検査の標準的な方法が石原表であるのはなぜか
石原表が高精度であることが国際的にも評価されており、かつ、使用方法が簡便であるからです。

(4)石原表で正確に色覚が診断できるか
色覚異常の確定診断は、石原表だけでなく、アノマロスコープを含めた複数の検査の結果をもって総合的に判断しなければならないとされています。

(5)色覚異常者が就職や進学の際に道を絶たれることは許されないのではないか
色覚異常には先天色覚異常と後天色覚異常がありますが、いずれも個人差が大きいものです。そのすべてをひっくるめた「色覚異常者」というカテゴリーに対して制度の是非を語るのは無理があるでしょう。個人個人の能力を見極めた上で進路適性に関する制度を考察するべきだと思います。

 

2010年

7月

13日

クルマは「走る凶器」です。

先日、自動車運転免許の更新手続に行ってきました。前回の更新時は色名応答テストがありましたが、今回はなくなっていて、視力検査だけでした。この画像を見ていただきますと、「ただし書き」の部分は後から貼ったものであることがお分かりになるでしょう。

更新時に色覚を問わないということは、後天色覚異常を疑っていないのです。加えて、遠近や視野の検査も行いませんでしたので、要するに、中心視力以外の視機能は問わないということになります。

となると、あとは運転者自身の自覚に任せるということになるわけですが、本当にそれでよいのでしょうか。人は、自身の視機能を正確に自覚できているのでしょうか? 眼科の文献を読むと必ずしも自覚できているとは言えないようなのですが、どうお考えなんですかね、警察のみなさまは。

以下余談。

知人に、自身の先天色覚異常を悪用して商売を展開している低能な男がいます。彼は、先天色覚異常以外にも視機能のインペアメントをいくつか持っていて、それでも運転ができるなどと豪語しています。

しかし、視機能より性格の方が問題になりそうな、非常に傲慢な男です。交通環境の安全のために、彼は「適性検査」で落とされるべきだと願っております......(泣

 

2004年

3月

22日

医者選び

女性にも先天色覚異常のかたがいらっしゃるというのは、あまり知られていません。私はいままで5人ほどお会いしていますが、偶然に出会ったわけではなく、ぱすてるの活動を通して、お互いが先天色覚異常だという前提の場でお会いした方々です。そんなお知り合いのうち、あるひとりの女性が仰っていたお話。

数年前、全国的に有名な都内某私立大学医学部の眼科外来を、(色覚と関係のない)眼疾患で受診したとき、医師が「ついでに」といって色覚の検査もされたのだそうです。その検査前、彼女自ら先天色覚異常であることを申し出たのにも関わらず、その医師は「おかしいな、女なのになんでシキモウなんだろ?」ってな調子で、何度も何度も色覚検査をくり返したのだとか。

ご自身の色覚のことを知りたいときは、適当に眼科を選んではなりません。眼科医だからといっても、色覚に詳しい医師でなければ役に立たないのです。それと、色覚を専門にご研究されている医師の場合、ほとんどは、遺伝などの言葉にも気を使ってくださいます。受診時のこころの負担が少ないというのは、ちょっと安心できそうです。

くれぐれも、「色覚外来」を設置している眼科に行きましょう。

2004年

3月

12日

ひとつの色彩を万人が同じように感じとっているのでしょうか

学校や職場の検査などでよく使われる仮性同色表(石原表・東京医大式など)を1種類だけ使って検査しただけで、色覚異常であるという確定診断を下されることはありません。もしそんなことがあったとしたら、そのお医者さんは色覚についてあまりご存知でないのでしょう(仮性同色表の詳しい説明については、また後日)。

正確に色覚異常かどうかを診断するためには、1種類の仮性同色表だけでなく、数種類のさまざまな検査をし、その結果を総合しなければなりません。そういった総合的な検査・診断ができるような「色覚外来」を設置している病院は、全国に数か所しかありません。

1種類の仮性同色表による検査をフェイルしただけのひとは、「色覚異常の疑いあり」といった内容の診断結果になるでしょう。色覚異常の「疑い」の場合、精密検査をしたら色覚異常ではなかったということもあり得ます。

で、「自分の感じている色彩が他人の感覚に等しいと言えるのか?」という素朴な疑問ですけれども、正常色覚の人同士であったとしても、同じ色彩を見ているとは言い切れません。加齢による色覚の衰退・ニコチン中毒や成人病での色覚の変化・脳の機能による色知覚の変化など、いろいろな研究報告があります。厳密に計測すると、左右の目でさえわずかな違いが発見されるひともいらっしゃいます。ですので、「自分の見ている色が他人と等しい」と断言することはできません。

ですが、歴然とした程度の差が存在するのです。正常色覚者の色覚特性のばらつき(個体差)のなかに、先天色覚異常の人の色覚特性を含めることはできないようです。

私は、自分の色覚を調べるときに脳波をとり、それを数値化したものを見たことがあるのですが、ある特定の色彩については、まるで眠っているかのように脳が閉ざされていました。同じ実験で正常者のグラフとくらべた時、あまりの違いに絶句してしまったことがあります。

ではなぜ、先天色覚異常の人にも「色がわかる」と言えるのでしょうか?

それについては、これから詳しく説明していきます。

 

2002年

3月

16日

色覚検査 廃止は自覚の機会を奪う, 朝日新聞, 2002-03-16

矢野喜正, 色覚検査 廃止は自覚の機会を奪う, 朝日新聞 東京 朝刊 私の視点, 2002-03-16

文部科学省が2月、学校保健法施行規則の改定案を発表した。児童の健康診断で行われている色覚検査について「日常の不便がほとんどなく、見やすい教材の採用などの方がより適切」だとして、03年度からの廃止を決めたという。

しかし、これは色弱(先天性色覚異常)に関する認識不足から生じた判断である。子どもたちが自身の色覚を知る数少ない機会を奪ってはならない。むしろもっと早期から検査を実施し、細やかな配慮をもって指導するべきである。

専門医の調査によると、色誤認の自覚があると訴えている人は、強度の色弱者で88%、軽度でも39%にのぼるという。

一般に色弱が説明される時「仕事や生活に支障がない」と書かれていることが多いが、これは色弱者を差別からかばうための修辞である。「自分だけが見えづらい」という意識を持たない色弱者は、困難に気付かず、色誤認の自覚ができないことも多い。

私自身、10歳時の学校検査で色弱を疑われたものの、不自由なく暮らしてきたつもりだった。しかし、高校で美術系を志望して色彩に気を配るようになると、日常に色情報が氾濫していることに気付きはじめ、過去の失敗の数々を反芻して蒼くなった。

美術大学を卒業して、デザイナーになってはじめて色覚外来で精密検査を受診すると、「二色型第一色覚異常」[註] と診断され、自分が強度の部類に入ることを知った。それ以降は、さらに自分の色覚特性を研究し、常に自分の見え方を疑うことによって、不利を補いながら生活している。

私は、自分と同じ境遇の人を何人も知っており、色弱者が色彩を扱う仕事に就くことはできる、と断言する。法令で禁止されている職業であっても、表示や機器などの色使いを改善すれば就労が可能だと思う。

だが、人間は誰でもいつか必ず失敗を犯す。それを未然に防ぐには、自身の色覚を詳しく知り、その特性を自覚しながら注意深く行動し、起こり得る問題を前もって予測し、隣人に助言を求めることが必須だ。色覚検査を廃止し、自身の色弱を知らされないでいると、不便は残存し、失敗は繰り返され、周囲の偏見は続いていく。

色弱者たちよ、自分の色覚について「知る権利」を放棄するな。「知らない方が幸せだった」という気持ちでは何も解決しない。おのれの身体能力の限界を知り、その立場から現実を直視し、共に不便の改善を訴えよう。

[註] 本論の掲載当時の診断名。2005年以降は「1型2色覚」が正式な診断名。

2001年

4月

01日

文部省. 1989.『色覚問題に関する指導の手引』

旧文部省から発行された、教職員向けの冊子『色覚問題に関する指導の手引』です。このリーフレットは、当時、全国の公立の小中高等学校に各2部ずつ配付されました。市川宏先生・金子隆芳先生・高柳泰世先生ほかのみなさんが関わって作成され、当時としては内容の濃い、非常によくできた指導資料となっています。

文部省 1989 色覚問題に関する指導の手引.pdf
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